安積国造神社
  宮司 安藤智重

〒963-8005
 福島県郡山市
 清水台1-6-23
 TEL:024-932-1145


神様の話


 
芽吹き

 日本の神話は、大昔は口承で伝えられ、『古事記』編纂以降、文字によって伝えられてきました。
 
  天つ神の住む世界を高天原(たかまのはら)と言います。
天は、地上の王権の正統性が神話的にそこに由来すると考えられた天上の他界なのだそうです。高名な学者の説です。

  神様とは何かと申しますと、本居宣長が以下のように答えを言っています。
「すべてカミとは、いにしえの御典(みふみ)どもに見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、それを祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、また人はさらにも云はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、そのほか何にまれ、よのつねならずすぐれたる徳(こと)のありて、かしこきものをカミとは云うなり」

  天つ神はイザナギ・イザナミの二神に、この漂える国を作り固めよと言依(ことよ)さしました。
二神は天の沼矛(ぬぼこ)を賜り、天の浮橋に立って、沼矛を指し下ろし、「こをろこをろ」とかき鳴らして引き上げました。
矛の先からしたたり落ちた塩が積もってオノゴロ島が出来ます。

  二神はその島に天降りして聖婚の儀礼を行い、日本列島を生みます。次いで、森羅万象、様々な神を生みます。

  イザナミは、火の神を生んだ時、女陰にやけどを負い病臥します。
最後にワクムスヒを生み、死んでしまいます。
ワクムスヒは尿(ゆまり)に成り坐した神様です。
ムスヒは生産の霊のことで、古代日本において広範囲に信仰されていたそうです。
ムスヒの神様が、安積国造神社のような古い社にお祭りされているというのも、興味深いことですね。


参考文献 西郷信綱『古事記注釈』



みおしえ


 
朝日ににほふ
 
 
晴天
 
 

 
後桜町天皇御製


朝な朝な 心のかがみ みがきそへて 祈るまことは 神やしるらむ

  日本人が、古(いにしえ)から親から子へ子から孫へと受け継いできた神道には、日本人の心が息づいています。

  神道では、人は神に根源を有していて、人は神より生成したものと考えます。
また、人の心は、やがては神の心に通ずるとも考えられています。
 
  宣長は、神道のことを、

「ただゆたかに、おほらかに、雅たるものにて、歌のおもむきぞ、よくこれにかなへりける。」

と説いています。
すなわち、豊かで、大らかで、和歌の世界などの「もののあはれ」の美意識があるもの、それが神道なのです。弱さもふくめた、人間本来の感情の発露が重んじられているのです。
 
  人間本来の感情のことを、宣長は、「まことの人情」「真心」と言い表しています。

  「真心」について、宣長は次のように説明しています。
「真心とは、産巣日神(むすひのかみ)の御霊によりて備へ持て生れつるままの心をいふ、さてこの真心には、知なるもあり愚なるもあり、巧なるもあり拙きもあり、善きもあり悪きもあり、さまざまにて、天下の人ことごとく同じき物にあらざれば、神代の神たちも善事にまれ、悪事にまれ、おのおのその真心によりて行ひ給へる也。」

  すなわち、神と人とは、心を映す「合せ鏡」なのです。真心とは人間にとって「内なる神」です。宣長は、人の心の奥に、内なる神を見出したのです。


 
明治天皇御製

めにみえぬ 神の心に 通ふこそ 人の心の まことなりけれ

参考文献 小笠原春夫先生『神道信仰の系譜』

 
 
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