文章家として知られる
艮斎の文章は格調が高く個性があり、論旨は堂々として明快である。
「東に艮斎あり 西に拙堂あり」と呼ばれたのもこのためである。
門人重野安繹が艮斎に文章の添削を乞うた時、艮斎は「達意の一点を勉むべし」と諭した。
漢詩鑑賞
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伊東肥前墓 安積艮斎
川原吊古独傷情 川原古を吊(とむら)ひ 独り情を傷ましむ
一片残碑苔暈生 一片の残碑 苔暈(たいうん)生ず
後世莫憂文字滅 後世憂ふる莫かれ 文字の滅するを
忠臣埋骨不埋名 忠臣骨を埋むるも名は埋れず
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郡山の名将伊東肥前の墓碑の前で詠んだものです。
艮斎先生は、日本の歴史に材をとった詠史詩を多く残しています。
語釈
○伊東肥前~郡山の領主で勇猛果敢な武将。
伊達政宗の身替りになって討死した。
○吊~とむらう。
○残碑~もとは逢瀬川の河原に墓碑があって、仙台藩主は郡山を通る時、必ずお参りした。
撰文は黄檗宗の高僧東泉。墓碑は現在、富久山町久保田の日吉神社にある。
○苔暈~苔とかび
大意
秦の始皇帝は不老不死の薬草を採ろうとしたが、結局薬草が生えているという東海の仙山に逢うことはできなかった。
その仙山こそ、この富士山なのである。
遠い昔から天上の風が吹き下ろしているが、折れることがない。
青い空に映える一朶の美しい蓮の花よ。 |
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伊東肥前墓
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暁行 安積艮斎
野水涵残星 野水(やすい) 残星を涵(ひた)し
邨家在何処 邨家(そんか) 何れの処にか在る
寒塘不見人 寒塘(かんとう) 人を見ず
鳬雁烟中語 鳬雁(ふがん) 烟中に語る
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清国の学者兪讓セ(ゆえつ)『東瀛詩選(とうえいしせん)』に選ばれた詩の一つです。
夜明け前の雰囲気が感覚的に伝わってきます。
語釈
残星~『艮斎詩略』には「寒星」とあります。
○邨家~村家。
○寒塘~寒々とした土手。
○烟中~もやの中。
○ 語~鳥の鳴く声にも使います。
大意
野原に流れる小川に明け方の星がうつり、星をひたしているように見える。
村の家はどこにあるのだろうか。
寒々とした土手に人はいない。
けりや雁が霧の中にさえずっているばかりだ。 |
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暁行
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偶興 安積艮斎
自甘無用臥柴関 自ら甘んず無用柴関(さいかん)に臥(が)するに
花落鳥啼春昼閑 花落ち鳥啼いて春昼閑なり
有客来談人世事 客有り来り談ず人世の事
笑而不答起看山 笑って答へず起(た)って山を看る
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李白の詩魂に触れるような趣があります。
多忙で気の毒なほどだと言われた艮斎先生にとって、詩作は、世俗にまみれた心を浄化するものだったのでしょう。
語釈
○自甘~自分でそれに満足している。
○無用~世に用のないもの。
○臥~起臥。暮らす。
○柴関~茅屋
○春昼閑~春日閑。春の日はうらうらとのどかである。
○人世事~世上のいろいろな事件
大意
無用の私がこの茅屋(ぼうおく)に暮らしているのは、自ら甘んじていること。
花は散り、鳥は鳴いて、春の日はうらうらとのどかだ。
たまたま客が来て世間のことを談じている。
私は笑っているばかりで、答えず、立ち上がって春の山を見る。
李白の「笑って答へず、心自ら閑なり」のような心境だ。 |
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富士山 安積艮斎
秦皇採薬竟難逢 秦皇(しんこう)薬を採りて竟(つい)に逢ひ難し
東海仙山是此峰 東海の仙山は是れ此の峰(みね)
万古天風吹不折 万古天風吹けども折れず
青空一朶玉芙蓉 青空一朶(せいくういちだ)の玉芙蓉(ぎょくふよう)
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25歳の時に発表し評判になりました。
数ある富士山詠の中でも随一と言われる傑作を、その若さで詠じたのです。
語釈
○秦皇~秦の始皇帝
○天風~天上から吹き下ろす風
○仙山~仙人のいる山
○玉芙蓉~美しいハスの花。富士山を芙蓉に見立てた。 |
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大意
秦の始皇帝は、不老不死を願って、徐福(じょふく)という神仙の術を身につけた者に、東海の仙山にあるという薬草を探させた。
ところが徐福は帰らず、ついぞ逢うことができなかった。
その仙山こそ、この富士山なのだ。
遠い昔より、天上から風が吹き下ろしても折れることはない。
青い空に映える一枝、美しいハスの花よ。 |
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墨水秋夕 安積艮斎
霜落滄江秋水清 霜落ちて滄江秋水清し
酔余扶杖寄吟情 酔余杖に扶けられて吟情を寄す
黄蘆半老風無力 黄蘆半ば老いて 風に力無く
白雁高飛月有声 白雁高く飛んで 月に声有り
松下燈光孤廟静 松下の燈光 孤廟静かに
煙中人語一船行 煙中の人語 一船行く
雲山未遂平生志 雲山未だ遂げず 平生の志
此処聊応濯我纓 此の処聊か応(まさ)に我が纓を濯(あら)ふべし
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秋の夕暮れの隅田川畔の風景を描写、格調高い対句表現が特徴的です。
第7、8句に魂の浄化のテーマがあらわれ、詩趣を深くします。
語釈
○ 霜落~秋も深まり霜がおりること。
○滄江 あおい隅田川の流れ。
○酔余~酔後
○黄蘆~黄色に枯れたあし。
○孤廟~一つの神社。
○聊~しばらく。
○纓~冠の紐
大意
秋も深まり、霜は降りて、あおい隅田川の流れはいよいよ清く澄み渡る。
酔ったあと、私はひとり杖を頼りに散策し、詩情を寄せる。黄色の蘆は半ば枯れて、そよぐ風にも力が無い。
白い雁が空高く飛ぶのを見上げれば、月の中から声が聞こえてくるようだ。
松の下の燈明は一つの神社があるところ、ひっそりと静かだ。
夕もやの中に人の声を残して、一艘の船が進んで行く。
雲山に起臥したいという平生の希望はいまだ遂げられない。
せめて、この清流に我が冠の紐を洗い、今しばらく心を清めるとしよう。 |
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示諸生 安積艮斎
戒君勿見墨陀花 君を戒む 見ること勿かれ 墨陀の花
花下美人花遜華 花下の美人 花 華を 遜(ゆず)る
戒君勿見墨陀月 君を戒む 見ること勿かれ 墨陀の月
月下少婦月恥潔 月下の少婦 月 潔を恥ず
先哲惜陰勤精研 先哲 陰を惜しんで 勤めて精研す
何暇花月耽流連 何の暇あって 花月 流連に耽らん
吾閲書生三十年 吾 書生を閲(けみ)する三十年
志業多因花月捐 志業 多く花月に因って捐(す)つ
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門人宍戸迺」の隅田川での遊興をきっかけとして、この詩が生まれました。
艮斎先生の門人への思いやりが、行間につまっています。
語釈
○墨陀花~隅田川のほとりの花。
○少婦~年若い女性。
○月恥潔~月も恥らう清らかさ。
○先哲~昔の賢者。
○流連~家を忘れて遊行にふけること。
○志業~大志と学業
大意
塾生諸君に訓示する。
隅田川のほとりに花見などをしてはならない。
花の下には、花も見劣りするような美人がいて、君らの心をとりこにするであろうから。
塾生諸君に訓示する。
隅田川のほとりに月見などをしてはならない。
月の下には、月も恥じ入るような年若い女性がいて、君らを惑わすであろうから。
昔の賢者は、少しの時間さえも惜しんで、勉学に勤めたものだ。
何の暇があって花見や月見にうつつをぬかしていられようか。
私は三十年、門弟をみてきた。
その大志も学業も、多くは花月の遊びにふけることによって、ものにならずに終わってしまうのだ。
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